” 半分、青い。”の30年後

観るつもりが無かったNHKの朝ドラ”半分、青い。”をついつい観てしまっています。細部で気になる部分も結構あるのだけれど(1989年に高校を卒業する主人公の就職が全然決まらなく、なんとなくそれはバブル崩壊の煽りを受けているような雰囲気なのだが、89年時点では企業はまだそんなに採用を絞ってないんじゃないですか?とか思ったり)すこし離れているとはいえ、自分の世代のお話だから、なんとなく興味は持てる。
今、主人公は、おじいちゃんのコネで農協に就職が決まったものの、漫画家になりたいという夢を持ち始め、東京に出ていくんだと言って家族ともめている(なんか、”農協”を夢を追い求めることの対局に置いちゃうのって、大丈夫ですか?と思うけど、現実には夢なんか求めないで農協的な何かで堅実にやっていくのが正しいのだという人々がマジョリティで、それに何の疑問も持たない方々が老若男女問わず多いのだろうから、そんな細かいことは気にもならないのかも知れない。しかし、それはそれで何か窮屈な国だと思うのだが・・・)。
この主人公は幸せな家庭に育って、友達にも恵まれ、地元で幸せな日々を送りつつも、誰に強要されるされることもなく夢を持ち、夢を求めて地元を離れることを決意するという、なんとも正しい夢の持ち方だと見ていて思う。ああ、素敵だなあ・・・と真面目に思うのである。

私にも夢みたいなものはあったわけで、そのために地元を離れたみたいに見えることもあるのかも知れないけれど、私の根源にある圧倒的なモチベーションは、地元での(あるいは家庭での)居心地の悪さだった(なので、夢みたいなものも、実は方便としての夢みたいなものなんじゃないかと疑問に思うことも時々あるが、そちらはまあ、そうだったとしてもそれなりに楽しんでいるのでそれほど文句はない)。田舎でやることがないとか、都会が良いとか、昔も今もあまり感じないので、多分、地元というよりも家庭の居心地の悪さのほうがより大きなファクターなのだと思っている(そんなだから、自分で選んで住んでいる地域は、地元以外の田舎が多いのだろう)。家での居心地の悪さがあり、世間の理想化された所属感を見回した結果が所属欲求を他に求めることに繋がり、それがなんとなくどこでも所属感がないことにつながっているのではないかと最近思う。どこでも所属欲求をみたされたことがないゆえに、逆にどこにいてもそれほど違和感を感じたりしないのだと思いもするのだけれど・・・(ホームシックとか間違っても感じたことが無いし)。そういうのはなんとなく寂しい人生だよな、と思うこともあるけれど、それは自分ではどうしようもなかったんじゃなかろうかと思われる。

世の中にそういう人も多いのだろうけれど、そういう所属感不満足組は、隣の芝生的な理想化された所属感をわらしべ長者のように探索することとなり、なかなか大変なことである。逆に、所属感を強く感じている人たちは、それを失った場合の喪失感が大きいのだろうから、それはそれでまた大変なのだろう。何れにしても、ある程度自覚的になって、どこかで満足することが必要なんだろうけど、私の場合、自覚的になるのに結構な時間がかかった(そうして、こうして世界を転々としているのかも知れない。それはそれで色々と楽しいこともあるわけだけれど)。

”半分、青い。”を観たり、FBを通じて地元でGWなんか楽しんでいる旧友の事を横目で見たりして、そういうのを羨ましいなと半分思いながら、しかし、かの場所のどうしようもない居心地の悪さを考えたら、こういう風にしか生きられなかったし、生きられないわけで、結局まあそういうことなんだと思うわけなのであります。眼前に広がる現実は人それぞれでしょうが、まあ、ともかく、お互い精一杯やっていきましょうねと心の中でつぶやきながら(?)、今日もピペットを握るのでした。

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